クリスチャンとしての私は、日頃何を考え、どう生きているのだろう。時々私は、そのように自分を相対化してみることがある。それは自己観察であり、また自己チェックでもある。聖書に書かれている通りに生きているだろうか。なかなかそうも言えないような気がする。実際には罪だらけの人生だし、失敗だらけの毎日だから。クリスチャンとして時々苦しく思うのは、自分の罪深さが嫌というほど明確になること。洗礼を受けたからといって、罪が何かを知ったからといって、罪を犯さなくなるわけではない。いわば、何が罪なのかを知りながらも罪を犯すのである。これは1つのジレンマであって、我々人間はそれを背負って苦しみながら生きていくしかないのだろう。
このような我々の人生とは一体何であるのか。どのような深い意味が込められているのだろうか。クリスチャンになったことで、人生には深い意味があるということだけは分かっている。しかし、それが何なのかまでは分からずにいる。すぐに答えを求めようとするのは、我々人間のくせなのかもしれない。でも、これだけははっきりしている。
今、私たちは生きている。
これまでも生きてきた。
これからも生きていく。
そして、生きようと思う。
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