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Keisicの過去・現在

僕の子供時代
- そもそも僕は、いつからピアノが好きだったのだろう。一番古い記憶は、おそらく小学校にあがる前にテープでよく聴いていたホロヴィッツ(注)の演奏かもしれない。中でもショパンの英雄ポロネーズは、幼いながらに鳥肌ものだった。「うぉー、このおっちゃんスゲ〜。上手すぎ・・・」。ちょうどその頃、僕は両親にピアノを習いたいとせがんでいたらしい(本人は、習い始めたきっかけをよく覚えていない。たぶん、ホロヴィッツみたいになりたいと思ったんだと思う)。で、そんなに言うんだったらと、近くのピアノの先生の所へ通い始める。当時6歳。このあたりからはよく覚えている。とても楽しかったから。しかし両親は、未だ半信半疑。そのうちに飽きてやめるかもしれないと、ピアノ購入は保留。僕は週一回の練習日が待ちきれなくて、自分で紙に鍵盤を書いた。毎日それで練習した。
その光景を目にした両親が、ピアノ購入をようやく決意。さっそく、ヤマハのクラヴィノーバが届く。まさに、水を得た魚!(間もなく、水泳も習い始め奇しくも本当に魚になる。スイ〜)。嬉しくてうれしくて夢中で弾いた。もう、この時点で作曲してたと思う(笑)。いや、正確に言うならば何かを「表現」してた。音の記録として残っている最古の作品は「Op.8」。ちゃんとテープもある。当時、たぶん9歳。それをずっと後になってから弾きなおしたものが、当サイトにアップされている「Op.8」だ。知らなかったでしょ!?ある意味貴重ですよ(笑)。でも最も古い作品なのに、「作品8」とはどういうわけか。実はこれは単なる偶然で、初めて作品をアップする際に10曲くらいまとめて弾いたから。つまり、何番にでもなる可能性はあったわけ。
その作品8を作ったあたりから、作曲が癖になる。確か、「Op.5」なんかは中学生くらいに作ったと思う。当サイトでも、Keisicランキングベスト5に余裕で入る作品ですよね!?(笑)。いつのまにか、僕の代表曲になっちゃった。我ながらよくあんな曲作ったと思いますよ。ほんと。今だったら作れないね。不思議と、その時でないと作れない曲がある。否、その時だからこそ生まれてきた曲、というのかな。それは今に至るまで変わらないです。全てがその時の私。
注:ホロヴィッツ[Vladimir Horowitz] (1904〜1989)。アメリカのピアニスト。ロシア生れ。トスカニーニの女婿。卓越した技巧と繊細な感覚で有名。出典:広辞苑。
作曲について
- 僕にとっての作曲とは、文字通りの「曲を作る」こととは少し違う。どちらかというと、自然に湧いてくる感じ。もともと作曲を始めたきっかけは、他ならぬ「自分」を癒すためだった。自分のためにピアノを弾き、そのことで癒される。憂鬱な時や楽しい時など状況は様々だけど、それぞれに合った曲が鍵盤を走る両手から生まれてくる。ちょうど心を映し出す鏡のような役割を、ピアノが果たす。心が憂鬱な時には、憂鬱なメロディーが映し出される。結果、僕の心は「中和」され癒される。ずいぶん長い間そんなことを続けてきたのだけど、ある時、曲を保存してみたくなった。そこで、パソコンに電子ピアノを接続してMIDIデータとして保存し始める。既にその頃、自分のウェブサイトを持っていたのでそれらを公開してみることにした。訪問者からの反応は良く、自分の曲に共感してくれたことが嬉しかった。いつのまにか、ピアノ曲を中心とするサイトになってゆき今に至る。
実は僕、譜面を読むことがあまり好きではない。それは、昔から譜面を読む訓練をしてこなかったせい。ピアノのレッスンは、事前に手本を弾いてくれる先生の「音」を記憶してやっていた。だから、譜面にはない弾き方をしていることもしばしばだった。レッスン当日に、先生に指摘されて初めて気づくという感じ。もちろん95%くらいは譜面どおりなのだが、残りの5%くらいが「オリジナル」になっていた(笑)。そんな調子だから、未だに僕がピアノを弾くときには目の前には何も置かないし、そもそも置くべきものなんてない。いつも、ピアノと自分の二人っきりでの対話になる。ピアノを弾くなら、すっきりシンプルな状況が好き。
ピアノとの関わり